近代以前の江戸期における教科書としては、武士の子弟を対象とした漢籍と、庶民が寺子屋などで使用したいわゆる往来物とに大別される。
明治5年「学制」が発布され近代教育制度がスタートした。それとともに近代小学校の出発に際し、具体的な教育内容を示す教科書をいかにしたらよいかが大問題であった。結局、とりあえず欧米の進んだ文物の摂取で、ということが近代教科書のスタートとなった。
ここでは、当時各期の代表的教科書からその変遷を追ってみた。
「童蒙教授図会」(明治初期)
自由発行、自由採択時代
当初の教科書は自由発行、自由採択であった。明治初期は文明開化の風潮もあり、当時のベストセラーであった「学問のすすめ」(福沢諭吉)などは教科書としても広く使用されたようである。その他に「啓蒙知恵ノ環」(瓜生寅)、「ういまなび」(柳河春蔭)なども普及した。
この時期は、教科書としてのスタイルも決まっておらず、従って地理、修身、物理、化学、博物などの欧米の教科書を翻訳あるいは抄訳編輯したものが多く使用されており、この時代は別に翻訳教科書時代とも呼ばれている。
小学読本 巻1~4
文部省編纂 明治6年 師範学校翻刻
田中義廉の翻訳になるもので、原本はアメリカのウィルソン・リーダー(M.Willson:The Readers of the School and Family Series)である。
巻一の初めの「およそ地球上の人種は五つに分かれたり、…」の巻頭の一文は「酒屋や魚屋の小僧までがそれをさえずった」とまでいわれ、当時最も普及した教科書である。各県の翻訳版も多く文部省刊になる巻は、巻1~4までで、その後、田中によって理科的教材を主とした巻五・六が加わり民間より出版された。(明治8年~)
小学入門 1冊
文部省 明治7年
当時師範学校で編輯した入門教材図のいろは図、五十音図、単語図、算用数学の図、形体線度図、色図などの掛図を一書として収録し、小学校の初学年用として作られた。
内容は国語教材以外の教材も多く含んでおり、以後の教科書のスタイルの原型となったともいわれている。初等科1年前期用に使用された。
単語図
「単語図」は第1~8までと、これに続く「連語図」が第1~10まであり、いずれも掛図として使用され、後に「小学入門」に収録された。
発音の練習も兼ね、「イ」と「ヰ」、「イ」と「ヒ」、「ヰ」と「ヱ」など類似の発音を含む単語が示されている。
また、単語を教えると同時に、その文字があらわす実物を絵で示し、工夫をこらしている。
第一単語図 文部省 明治7年(掛図)
第三単語図 文部省 明治7年 (掛図)
動物第一獣類一覧 文部省 明治8年 (掛図)
開申(届出)制、認可(許可)制時代
「文部省」は、明治14年5月、「小学校教則網領」制定のあと、これまで各小学校で自由採択されていた教科書を開申(届出)るよう指示している。さらに、明治16年には、この届出制を認可制に改めた。文明開化や欧米重視の風潮への批判、自由民権運動の抑圧等と関わって、教科書は伝統的、儒教的傾向が強まり、復古主義的色彩の濃い内容となっている。
小学読本 巻1~5
若林虎三郎編輯 巻1~5 明治17年
初等科1学年後期から使用するもので、当時アメリカから移入されたペスタロッチ主義の開発主義教育方法を取り入れている。児童の直観や経験を重んじる、当時最も進歩的な教科書といわれている。
明治検定制時代
内閣制度の発足に伴う初代文部大臣に森有礼が就任(明治18年)し、「小学校令」の公布により「小学校ノ教科書ハ文部大臣、検定シタルモノニ限ルベシ」(第13条)と定められ、ここに教科書の検定制度がスタートした。
読書入門(ヨミカキニュウモン) 1冊
文部省 明治19年
尋常小学1年前期の学習用として、湯本武比古がドイツの国語教科書を参考に編輯したもので、以後の読本編纂の基礎となったとされる。
特徴として、従来の「読み」を主としたのに対し、「読み」と「書き」を並行させたこと。「片かな」「平かな」「かな文字」「五十音図」の順序性をとり入れたこと。韻律的文章、口語文、童話的文が多く取り入れてある。ことなどが特徴的となっている。
尋常小学読本 1-7
文部省 明治20年
尋常小学1年から4年まで使用するようになっている。児童の発達段階に即した教材の配列と編輯がなされた点で画期的といわれる。口語体を多く取り入れているが、教材のほとんどが、忠孝、勤勉、立身などの徳用を説いており、国家主義的性格の濃い内容となっている。
国語読本
尋常小学校用 1~8 坪内雄蔵(逍遥)著 明治33年
作家であった坪内雄蔵(逍遥)による「国語読本」は独創的な編輯と、物語教材も多く文学的性格とともに児童の心理と生活に合ったものととして、この期における民間発行の教科書として評価も高く、高等科用とともに多くの学校で使用された。